還暦記念の「ざ びぼうろく」THE備忘録 

目にとめてくださり、ありがとうございます。還暦を機に、これまでの想いやこれからのことを毎日書いていきます。

夫と色違い、らしい。

キーホルダー

八重山みんさー織です。

 石垣島への出張を終えた夫がお土産をくれました。みんさー織のストラップです。

有名な文様が織られています。五つと四つの絣に「いつ(五つ)の世(四つ)までも、末永く・・・。」という想いが込められているとのことです。その昔、紅白歌合戦に出場した夏川りみさんが素敵なみんさー織の衣装で歌っていたなあ・・・。

 

 私が初めて沖縄県に行ったのが沖縄国際海洋博覧会のとき。1975年(昭和50年)の中1の夏休み。父と私、伯父伯母と4人で行きました。兄は高3の夏だったので母と留守番。

 那覇空港の日差しにまず驚き、太陽が頭のすぐ上にあるような錯覚。その後数日間は暑さとの闘いでした。茨城からの私たち。今でこそ沖縄より暑い日もありますが、当時は30度を超える日はまばら。海洋博覧会場もまぶしくて生まれて初めてサングラスをかけて、少し大人の気分も味わいました。会場で加山雄三さんがテレビの撮影をしているところにも出くわして、生の芸能人を初めて見て興奮。その後は玉泉洞摩文仁の丘にも行きました。

 摩文仁の丘では伯父が出身県碑の前からなかなか動こうとしなかったことが思い出されます。伯父は召集されていた経験があったからでしょう。石碑の前で私にいろいろと伝えていたようですが、「また、おじちゃんのお説教が始まった。」としか思わない私。小学生の私に本物のゲートルを見せてくれて、巻き方も教えてくれたこともあったのに、ホント失礼な姪でした。おじちゃん、ごめんね。

 

 石垣島まではプロペラのついた飛行機に乗った記憶があります。竹富島へは船だったかな?竹富島に着くと父はさっさと釣りに出かけ、私と伯父夫婦は海岸線を散歩したりしました。当時の竹富島はほとんど人影がなく、時間が止まってしまったかのよう。空と海と真っ白な星砂。北関東の田園風景しか知らない私からしたらまさに別世界。水牛車に乗って観光したと記憶していますが、一般のお宅も人影がなく、それでいて開け放していて、家の中が少し見えるような状況でした。八重山上布(じょうふ)の衣服を軒下に吊るしている風景も初めて見て、ずいぶんと硬そうな織物だなと思ったものです。

 八重山上布にみんさー織の角帯姿が気に入ったのか、父は自分への土産にみんさー織の角帯を買ってご満悦でした。全く着物なんか着ないのに、とにかく買ってみたかったのでしょう。数年前実家を整理していたら、色あせた角帯が出てきましたっけ。

 

 沖縄のホテルのショップで私は赤い珊瑚のネックレスを伯母に買ってもらいました。日本円のおつりに不慣れな店員さんがいて驚きましたが、伯父が「つい最近までドルだったからなあ。」とつぶやいていて、歴史の変遷に直に触れたような気持ちもしました。

 

 その旅行は戦争激戦地の見学はありませんでしたが、帰宅後、興奮冷めやらぬうちに旅行記を書き、見学先のパンフレットや旅行会社からもらった行程表など、関連資料もすべて貼付。夏休みの課題として意気揚々と提出しました。今思えば、沖縄県へ旅行する生徒は校内にはおらず、私の提出物は廊下に飾られて悪目立ちしていたと思います。しかしながら当の本人はいたって呑気で、部活動を数日欠席したにもかかわらす「パイナップルの畑がね・・。」などと先輩に明るくしゃべっておりました。仲良しの友人がそれ以上しゃべらない方がいい、と合図をくれるまで全く気がつかないほど、私は全く空気が読めない子だったようです。

 

 さて、今回もらったストラップですが、夫も自分用に色違いを買ってきたようで、ちょっと意外・・・。

ま、素直に喜ぶとしましょう。