還暦記念の「ざ びぼうろく」THE備忘録 

目にとめてくださり、ありがとうございます。還暦を機に、これまでの想いやこれからのことを毎日書いていきます。

野球のお話、あれこれ。

高校野球ベスト8

いよいよ甲子園 ベスト8
(画像はバーチャル高校野球より https://vk.sportsbull.jp/koshien/)

 

 今年の甲子園には知っている監督さんが2名も出ていて、身近に感じています。

1人は私の高校時代の先生、もう1人は元同僚です。テレビでおふたりを見て懐かしさと共に、猛暑の中、頑張っていらっしゃるなあと尊敬しています。

 

 現役の高校教員のときは、硬式野球部はじめ各部活動の様々な面を見聞きしてしまうせいか、高校生を純粋な気持ちで応援することができずにいました。また「○○甲子園」という名のポスターがしょっちゅう学校に届いていたことにも困惑。「ダンス甲子園」「俳句甲子園」はメディアでもよく取り上げられますが、ほかにも「ファッション甲子園」「パソコン甲子園」「花の甲子園」などなど・・・。その点でもややうんざりしていましたね。

 退職した今は、単なる一(いち)ファンとして、高校生を応援できる喜びがあります。

 

 高校野球、勝ち残るのは私立校が多いですね。公立校の選手はひとまわり身体が小さいようにも感じました。勤務先の硬式野球部(わざわざ硬式と書くのは、軟式野球部もあるからです。)の合宿のとき、大人たちが嘆いていたのは部員が米をあまり食べないこと。毎食1合は食べて大きな身体になって欲しいと言っていましたが、なかなか難しかったようです。

 

 野球と言えばその昔、自分が高校時代に好きだったプロ野球選手がいました。それは巨人の定岡正二さん。鹿児島実業出身というくらいは知っていましたが、当時の私は外面推しでした。定岡さんは、いわゆるアイドル選手の先駆けじゃないのかな?(あ、グリコのCMの太田幸司さんもいたか・・・)

 月刊ジャイアンツの表紙が定岡さんだったときは、毎日学校に持参して、友人に自慢。中の特集記事は切り抜いてコラージュして下敷きに挟み、飽きもせず眺めていましたっけ。

 当時、クラスにプロ野球大好き3人組女子がいて、1人は阪神若菜嘉晴推し、もう1人は広島の高橋慶彦推しでした。卒業アルバムの各クラスの自由ページに私たち3人は、それぞれの推し写真と共に撮影した記念写真を掲載。その下には「定岡〇〇、若菜〇〇、高橋〇〇」と、将来の希望の姓を書きました!しかも白黒写真。42年前のお話です・・・。

 

 そして忘れもしない、私が高2のお正月。県内のイトーヨーカドー屋上で、広島の高橋慶彦選手がサイン会を開くという情報をキャッチ。若菜推しの友人は来られなくて、高橋推しの友人と一緒に、開始時間よりだいぶ早く行って、冬の風が吹き抜ける屋上で待っていました。発売されたばかりの使い捨てカイロを握りしめていたと思います。

 そして念願の高橋さん登場!初めて見たプロ野球選手にドキドキ。あ~これが定岡さんだったら泣いていたかも・・・今でも鮮明に覚えているのは、高橋さんの太い肩です。ブレザー姿でしたが、上半身がこんなにも厚みのあるシルエットになるとは!衝撃でした。友人は後ろ姿の大きなお尻にも注目していたらしいです。確かに大きかったかも。それ以来、私も野球選手のお尻も見るようになってしまいましたが・・・。

 寒風吹きすさむ中、待った甲斐がありました。ご本人から直接色紙にサインをもらい握手もしてもらって大興奮。その時だけは、定岡さんに心の中で陳謝。

「ごめんね、正二・・・」

 

 冬休み明けに、色紙をクラスの硬式野球部員に見せびらかしたら、キャッチャーをやっていた男子がものすごく羨ましがって「売ってくれ」と言ってきました。苦労して手に入れたのに?一瞬、迷いましたが、

「お前、定岡のファンだろう?」

と言われ、仕方なく譲った記憶があります。またまた

「正二、ごめんね。」

譲渡価格はいくらだったか?全く覚えてはいませんが。