還暦記念の「ざ びぼうろく」THE備忘録 

目にとめてくださり、ありがとうございます。還暦を機に、これまでの想いやこれからのことを毎日書いていきます。

しっかり者の功罪。私の成長ストーリー

イルミネーション

東京、丸の内のイルミネーション、キレイでした


 両親が共働きで兄弟も5歳離れた兄だけだったので、私は自分1人で何でもやるような子でした。だから大人からよく褒められます。

「つくどんちゃんは、しっかりしているね!」と。

 

「しっかり者」は1人で行動するのが当たり前。友だちが「ママにやってもらった。」とか、「家の人に相談しないと決められない。」とか言うのを、いつも怪訝そうに聞いていた私。

 「そんなの、自分で決めてやれば良いじゃん!」

 勉強や家事がまあまあ出来たのも、周囲をガッカリさせないようにしたかったからです。

 

 大人になってからもそれを踏襲。

 教師という職業柄、自分で決定する場面が若い時から多いので、「ほうれんそう(報告、連絡、相談)」を省略しがちでした。事前に先輩や上司に聞いておいてもらえばよかったのに、すべてを背負い込み、土壇場で自分の首をしめるようなこともありました。それでいて「私ばっかり苦労している。」とストレス胃炎になり、医者から「もっと力を抜いて。」とよく言われましたが、なかなか脱力出来ませんでした。

 

 友人が「何かを買う時は夫に相談している。一緒に買い物につきあってもらっている。」というのを聞く度に、「買い物って1人でするものでしょ?何で自分で決めないの?相手の稼ぎだから??」と疑問符だらけの私。我が家においては、夫が単身赴任中にその傾向が特に顕著に見られ、私のワンマン状態。子どもたちの意向を反映せずに何でも自分で決めてしまっていました。

 「夫がいない分、お母さんの私がしっかりしなきゃいけないんだから!」と思い込み過ぎて家族関係もギクシャク。不登校状態になった小学生の次男が、給食は食べないので私が毎日お弁当を作ることになり、新たにお弁当箱を一緒に買いに行った時、彼がオレンジ色と黒のツートンカラーのお弁当箱を選んだときは衝撃的でしたね。それまで、私が彼に買い与えたお弁当箱はムシキング。流行っていて絶対好きだと確信していたからです。

母親失格、と落ち込んだあの日は、「しっかり者」ではなくて「自分勝手に動いていた私」を猛省した日でもありました。当時すでにアラフィフの私。次男の不登校を通して色々な方々と触れ合うことができ、おかげさまで私自身も自分を見直すことができたと思っています。

 

 今では、共用のモノは勝手に買ったりしないで夫に相談するようになりました。子ども宅に何か送る時も、必ず相手の意向を聞いてからにしています。

 

 しっかり者の怖い顔が緩んで良い表情になったと、還暦過ぎてからよく言われます。

 

 鬼は外、福は内になれたかな、私。