還暦記念の「ざ びぼうろく」THE備忘録 

目にとめてくださり、ありがとうございます。還暦を機に、これまでの想いやこれからのことを毎日書いていきます。

浪江に色が戻りますように。

ショール

桜色、カムバーック!

 

 昨夏、福島県浪江町双葉町に夫婦で行きました。

 東日本大震災から10年以上が過ぎ、やっぱり一度は自分の目で見ておきたいと思い、山形の義母の施設や山寺を経て、福島へ。

 

 前日は山寺に登れたので、なんだか自信みたいなものが出て来て、気持ちもワクワクしていましたが、海沿いの道路を南下して、目的地に近づくと、景色が一変。言葉を失いました。道沿いに門扉や建物があるものの、草が生い茂っていて全く居住している気配がない一軒家がいくつもあるし、海の方へ向かうと、平らな土地がどこまでも続き、塀の向こうには土砂を詰めた大きな大きな袋がぎっしり置かれている。真新しい大きな水産加工場に明るい未来を感じる反面、それだけが目立っていてまるでモニュメントのようにも見えました。

 

 震災遺構の請戸小学校に着くと、風の音しか聞こえません。海が目の前です。体育館、教室などやや強い海風を受けながら被害の跡を見てまわりました。教員だった自分には衝撃的な風景ばかり。よく全員が無事に避難することができたものだと、本当に驚きました。まさに「奇跡の学校」です。

 震災当日の時系列を見ると一番最後に残ったのは教頭先生。

「やっぱり、そうだよね。」

 長らく学校現場におりましたが、教頭という役職は本当に縁の下の力持ち。業務は多岐に渡ります。私のこれまでの勤務先でも生徒たちは、体育館で行事のたびに挨拶する校長先生の顔は何となく知っていても、職員室で留守番役が多い教頭先生の顔は案外知らなかったりします。それでいて毎朝最初に学校に来て、そして毎日最後に学校を出るのは教頭先生です。

 請戸小学校で最後に学校を離れた教頭先生も、あと少し遅れていたら命の危険があったはず。本当に奇跡だったと思います。

 

 東日本大震災原子力災害伝承館では語り部の方が元教員だそうで、震災全般のお話以外にも、当日どのように自宅へ戻り、ご家族と合流できたのかなどのお話も伺えて貴重な時間でした。

 その日伝承館には報道写真のパネルがたくさん展示されていて、これまでテレビニュースなどでは見聞きしたことがないような生々しい被害の、大きなパネル写真を次々と見てきました。辛い思いをしている人や残酷な風景にカメラレンズを向ける職業があることも頭ではわかっていても、心の中ではうまく消化できない自分もいました。

 

 なみえ焼きそばを食べ、双葉町に宿泊。ホテルの部屋から眺める風景は、これまでの宿泊地で見てきた眺めとはだいぶ違っていて、自分は観光者としてここにいていいのだろうかとも思いましたが、道の駅なみえに寄り、桜で染めた薄いピンク色の大きなショールを見つけたときは心底ほっとしました。ところがその思い出のショールは、1年経った今、色が抜けてしまっています。

 

 先日福島で藍染めの体験をしたときに、その工房のオーナーにこの色が抜けてしまったショールのことを相談したところ「制作者に連絡をとって染め直してもらう方がよい。それがその制作者にとっても勉強になるのだから。」と言われ、道の駅経由で制作者の方と直接話をしました。

 思い切って染め直しをお願いしたところ、

「連絡してくださってありがとう。」と反対にお礼を言われ、染め直しも快諾していただきました。連絡を取って本当によかったです。

「桜の季節はまだ先だから、茜(あかね)ではどうですか?」と提案され、赤系に染まるのならとリクエストしました。

 思い出のショールが生まれ変わって届くのを楽しみにしようと思います。