毎年、母の日にはプレゼントを贈ってきました。子どものときはカーネーションを少し、大人になっては財布、バッグ、私が縫った服、花かご、お菓子・・・・。もちろん、義母にも欠かさず贈りました。そういうものだと思っているし、何より贈り物を考えるのが楽しいからです。
認知症の母が現在使っている(であろう)財布は、私が20代のときにプレゼントした横浜キタムラのものです。
※コロナ禍で入所依頼、母の居室には全く入れないので実際のところはわからないのです・・・。
母が独居の頃は、もうひとつ「お出かけ用財布」というのもありましたが、自己管理が唯一できる財布はそのくたびれたキタムラの財布だけとなりました。
キタムラのものとはいえ、40年近く使えば皮もはがれていましたが、昭和一桁生まれの母はセロテープで補強して使っていました。
「新しいのを買ってあげるから、もう捨てていいよ。」と、セロテープ付きキタムラを見るにつけ言いましたが、「ちょっとそこまでの買い物にはこっちがいいのよ。」と言って手放そうとはしませんでした。
今は施設内の自販機で飲み物を買う時にでも使っているかなあ?
ただ、誰にもらったものかはわからなくなっているでしょうけどね。それは仕方のないことですけど。
私が息子たちから母の日のプレゼントとして記憶しているのは、保育所の工作や絵画くらい。母の日にはほとんどもらったことがないのです。親子仲は悪くないと思っているんですけどね・・・。
長男が結婚して初めての母の日、今年こそは!と、かすかな期待。ところが嫁ちゃん側のお母さんは「そういうのは全くしないでいいから。」と言ってきたそうで、長男は私に「ウチも要らないよね?」とLineをよこしました。あちらのお母さんは娘の母親だから、これまでに何度かプレゼントはもらっていることでしょう。娘を気遣っての発言も理解できます。
でも私は違います!(きっぱり)
母の日のプレゼント、断然欲しい派です。
いい歳?(当時還暦少し前)しても、やっぱりもらいたいのです。
「私は欲しいけど。」と長男にLineを返したところ、新茶2缶&カーネーションのセットが届きました。いかにもネットでよく見かける当たり障りのないセット・・・。選んだのは長男に違いない!
それでも私は大喜び。新茶が入っている和柄の缶は、冷蔵庫内でマヨネーズ立て、ケチャップ立てとして、ず~っと使っています。お花をまとめていたかわいい房飾りも捨てずにとっておいて、その後ポーチを縫ったときのファスナーの飾りに使いました。
翌年も似たようなセットが届き、そして迎えた今年・・・。
皆無
まあ4月に初孫が生まれちゃったから、それどころじゃないのでしょうけどね。
「みてね」というアプリで毎日かわいい赤ちゃん画像が届くので、これがプレゼントと思うことにします・・・。
(っていうのは表向き。ホンネはやっぱりパーソナルな物が欲しい61歳・・・。)
もう一人の息子(次男)は母の日があるなんて知らないんじゃないの?GWに帰省した時も私に服を買ってくれ、なんて言ってたくらいだし。就職した息子が専業主婦の母親にねだる意味がわからんよ。
そこへ友人からのLINE。
「ケーキ屋さんで小さな子と若いお父さんが、ママにはどのケーキにしようかって選んでいたよ。」
美しすぎる!
あ~、思うような母の日にはなりません。
もちろん贅沢な悩みだということも重々承知しております。ハイ。