還暦記念の「ざ びぼうろく」THE備忘録 

目にとめてくださり、ありがとうございます。還暦を機に、これまでの想いやこれからのことを毎日書いていきます。

真っ赤なトランジスタラジオで大人の仲間入り

  今週のお題「ラジオ」

  

スマホとスピーカー

今ではクリアな音で聴いています

 自分専用のラジオを買ってもらったのは小学校5年の時。昭和50年(1975年)、今から50年くらい前のことです。

 

 私は小学4年生までは、夜8時に寝て朝6時に起きるという生活で、土曜日だけは「ドリフターズの8時だよ!全員集合」を見るために夜9時まで起きていることが許されたという子ども時代を過ごしておりました。

 さすがに小5ともなると、学校でテレビの歌番組の話題に付いていけなくなることもあり、少しは遅くまで起きていることが許されましたが、一家に一台のテレビではチャンネル争いが必至。

 父親と兄は、プロ野球、プロレス、映画、早い時間だと男子向けアニメを選択。私は女子向けアニメと歌番組が見たいので、我が家は2対1の微妙な力関係で視聴番組のラインナップが構成されていたのです。今思うと母は、夜7時に勤めから帰宅すると、ずーっと家事をしていて、平日の夜に彼女がくつろいでテレビを見ている姿はあまりなかったように思います。本当は母親にくっついてテレビを見たかったんですけどね・・・。

 

 そんな頃「夜に1人でラジオを聴くのが大人だ!」と勝手に思い込み、自分の部屋で1人ラジオを聴くことに憧れがありました。5歳上の兄が深夜放送を聴いていたのを何となく知っていたのかもしれません。

 

 そこで父親に誕生日でもないのにラジオをねだりました。父親はリクエストするとほぼ次の日には買って来てくれるという人物。私は見事に真っ赤なトランジスタラジオをゲットしたのでした。家にある大きな黒いラジオとは違って、手のひらサイズの赤いラジオにどれだけ興奮したことか!

 

 伸びるアンテナが付いていたのか、AMだけだったのかは、記憶が定かではありませんが、とにかくうれしくて学校から帰ると自分の部屋でいつも聴いていました。

 「ぶんかほうそう、ぶんかほうそう、じぇいおーきゅーあーる!」というメロディが耳に残っています。部屋中を歩き回っては一番電波状況の良い放送局に周波数を合わせていました。ものすごく早くしゃべるラジオのパーソナリティの声に耳を傾けていると、何だか大人になったような気持ちになったものでした。

 

 今でも当時のワクワク感がラジオにはあります。

 声だけのメディアに魅かれるのはなぜだろう?

 たまに投稿したメッセージが読まれたりすると、1人ガッツポーズ!

 ラジオ大好き、です。