還暦記念の「ざ びぼうろく」THE備忘録 

目にとめてくださり、ありがとうございます。還暦を機に、これまでの想いやこれからのことを毎日書いていきます。

Fさんのこと

生ハム

多才なFさんに合掌

 Fさんに初めて会ったのは、私が乳がん手術をした翌年、2020年のことでした。 
 Fさんは、夫が仕事先でお世話になっているM氏の奥様で当時50歳。夫がM氏に私のことを話したら、偶然にもM氏夫人が乳がん罹患者だということがわかり、夫婦4人で会うことに。私もこの先どうすれば良いのか不安だったので、同じ乳ガン罹患者のFさんに会えるというのはとても心強かったです。

 

 待ち合わせは我が家の近所のコーヒーショップ。そのころのFさんは罹患後5年が過ぎ、骨への転移が判明していた時期で、ご自分の治療経験をもとに初めて会った私にたくさんアドバイスをしてくださいました。

 

 その数ヶ月後に夫婦そろってM氏宅にうかがい、Fさんご自慢の手料理をいただく機会もありました。Fさんは安心、安全な食べ物への関心が高く、ご自分で畑を借りて野菜や果物をいくつも栽培されていたり、保存食もこまめに作ってマルシェで販売もしていたそうです。ご自宅のマンションに伺ったときには玄関先からベランダまで、干した果物や野菜、生ハムなどがあちこちに置かれていてとても驚きました。

 

 夫は仕事先でM氏とたまに会うこともあったようですが、ここ2年ほど私たち夫婦はFさんとはお目にかかる機会もなく、私からLINEをFさんに数回送ったりもしましたが、あまりお返事をいただけないので、そのままになってしまいました。

 

 そしてこの3月、Fさんが昨年9月に亡くなられていたことを知りました。

 

 M氏は仕事関係者にはFさんが亡くなったことを知らせていなかったようですが、夫が連絡を取ると、私たち夫婦をご自宅に招いてくださいました。

 

 ご自宅の様子はそれほど変わってはいませんでしたが、笑顔のFさんが写真におさまっているのは何だか信じられません。お墓はFさんのご実家近くにあるとのことで、ご自宅には小さなお骨と写真が飾られています。事前にそう伺っていたので、ご香料のほかに小ぶりのお花とお菓子をお供えさせていただきました。

 

 その後はM氏からFさんのことを伺いました。ガンが骨に転移後は放射線治療や化学療法をしたが良い結果にはならなかったこと、緩和病棟に移ってほどなく亡くなられたこと、亡くなるまで外国語の物語を翻訳していたことなど、我々の知らないFさんのお話でした。「何だか、乳がんのことには詳しくなっちゃって。」と、M氏。ただ、治療方法が最善ではなかったのではという後悔のような思いがM氏の言葉からは強く感じられました。

 

 マルシェ先で知ったというインドのコーヒーやFさんが収穫した冷凍ラズベリーなどをいただきながら、Fさんが翻訳したという外国の美しい本も見せていただきました。

 

 お暇(いとま)するときにM氏が私たちに持たせてくださったのは、Fさんが作られた生ハム。帰りがけにM氏が「体に気をつけてね。」と、私のことを心配してもくださいました。

 

  M氏と夫は今月一緒に出張に行くとのことですので、その時には生ハムの感想をM氏にお伝えしなければと思いますが、すぐにカットする気にもなれず、大きな生ハムは眺めただけで冷蔵庫にしまってあります。

 

 Fさんは2005年からブログを書いている方で、私はそれをごく最近知りました。読んでみると去年8月の最後のブログのあとにはM氏から読者へのメッセージが書かれていました。

 更新されないけれども残しておきます、と。