還暦記念の「ざ びぼうろく」THE備忘録 

目にとめてくださり、ありがとうございます。還暦を機に、これまでの想いやこれからのことを毎日書いていきます。

祖母にプレゼントしたい。

コロコロ

必需品!

 洋裁するにも、製図するにも、細かいゴミは出ます。粘着ローラーの存在を知らない頃は、指でつまんだり、雑巾で寄せたり、掃除機出してきて吸い取ったりしてきれいにしてきました。YouTubeの洋裁動画に出てきた方は、糸くずを直接このローラーの粘着部分に投げつけていたのには驚き。ゴミ箱代わりに使うとは、まさに目からうろこでした。

 

 糸くずのゴミを見ると、親戚の嫁姑問題が思い出されます。それは祖母と伯母との関係です。

 昭和50年代まで、つまり今から50年ほど前まで、祖母と伯母は裁縫学校の先生でした。洋裁教室ではなくて、専修学校の先生です。県で認可されていることを伯父が自慢気に話していた記憶があります。学校といっても一斉授業ではなくて、個々に対応していたので裁縫教室と呼ぶ方がしっくりくる教室でしたが。

 

 16時に授業が終わると、祖母と伯母が主屋に引き上げてきます。教室と主屋とはドアひとつで隔てられているので、彼女たちの出勤、退勤は徒歩数十秒というところ。どこでもドア状態です。

 そして主屋にあがった祖母に、間髪を入れず伯母のきつい言葉が祖母に浴びせられます。

「おばあちゃん、糸くず着けて入って来ないで!」

主屋の居間に直接戻って来るのですが、居間は絨毯を敷き詰めた部屋になっていて(今だっらフローリング&床暖房でしょうよね・・・)、靴下に引っ付いている多数の糸くずはどうしてもその絨毯にくっつくのです。伯母はその光景が大嫌いで(というか、2人の関係そのものに問題があるわけですが・・・)、毎日のように祖母を厳しく叱責していました。いまだったら、なんとかハラスメント?

 

 なぜ私がその光景を鮮明に覚えているかというと、幼稚園から小学校低学年まで、放課後はその家で過ごしていたからです。フルタイム勤務の母親が19時に迎えに来るまで、夕飯もそこで済ませて待っているという生活をずっと続けておりました。ですから、16時過ぎに行われる嫁姑のバトルを平日は毎日目の当たりにしていたわけです。

 

 伯母に叱責される祖母は当時70歳代後半というところでしょうか。明治生まれで早くに夫を亡くし、針仕事で子ども6人を育て上げた女性です。寡黙な女性でちょっと怖かったのですが、糸くずで叱責されているときは子ども心にも何だかとても気の毒に思えました。祖母が履いている靴下は毛玉がいっぱいついた履き古されたもので、なおのこと糸くずと仲良しになってしまっていました。曲がった腰の不安定な姿勢で、いつも糸くずをつまんで取っている姿を50年以上過ぎた今でも鮮明に思い出します。この粘着ローラーがあれば、きっと主屋に入る前にさ~っと転がして、きれいな衣服で戻って来られたでしょう。伯母もストレスが1つ減ったと思います。

 

 他の些細なことでも、伯母に愚痴を言われていた祖母ですが、決して反論したりせず、無言で対応していました。文句を言っている伯母の方がかえって滑稽に見えたくらいです。もしかしたら、嫁である伯母の方が心のどこかで、この姑にはかなわないなあと感じていたのかもしれません。私の母(やはり嫁の1人)がこの祖母(つまり姑)のことを「すごい女性、賢い女性。」と、とにかく尊敬していました。還暦の自分が今考えても祖母はなかなかすごい女性だったと思います。糸くずがたくさんくっついているということは、それだけ仕事をした証だから、もっと尊重されてもいいのにね。

 

 私の裁縫好きは多分に2人からの影響があるので、天の国にいる彼女たちには感謝しかありません。祖母に粘着ローラーをプレゼントしても、彼女はちょっとだけ笑って受け取るのかもなあ。もちろん伯母にもプレゼントします。大きいサイズもあげたら、主屋の絨毯もきれいになりますしね。