還暦記念の「ざ びぼうろく」THE備忘録 

目にとめてくださり、ありがとうございます。還暦を機に、これまでの想いやこれからのことを毎日書いていきます。

ちゃしま と ハイジ

コースター

まあ、可愛い肉球だこと。

 今日のランチは猫づくしのカフェでした。オーナーが猫好きさんだそうで、食器もインテリアも販売しているグッズも猫柄ばかり。

 

 我が家にらぼちゃがいるという話をすると「動物を飼ったことはないんですか?」とよく聞かれます。実家にいたころは犬、猫、鶏、烏骨鶏、インコ、カナリヤ、熱帯魚・・・何羽も何匹も飼いました。次から次と生き物が我が家にやって来て(または連れて来て)、次々とサヨナラをしたので、ペットロスどころの話ではありません。

 父親が生物の教員免許を持っていたことは多分に影響していると思います。彼は十代のときに伝書鳩を何羽も飼育していて、それをうまく飼いならしていたという話を伯母から聞いたことがあります。父親は大の動物好き。飼育の知識もまあまああったのかもしれません。

 

 猫は何年かの間に数匹飼いました。顔立ちの良い雌の三毛猫(もちろん野良です。名前は美しい猫と書いて“みねこ”)を我が家に招きいれたことがきっかけです。案の定、そのみねこが我が家で出産。場所は押し入れの使っていない布団の上だったかな?トイレの躾も全くできていないので、その近くにしまっていた柔らかい本革の大きなバッグがトイレとなってしまいました。深緑色のバッグに、付着したまま取れなくなってしまったシミと、母親が猫を叱る声、それらがセットになって思い出されます。

 50年前は家の中だけで飼育するような時代ではなく、猫が勝手に家と外とを自由に出入りしていました。猫に合図されていちいち引き戸を開けるのが人間たちも面倒になって、とうとう猫専用の小さな扉をDIYが大得意の父親が手作りして設置しました。パタパタと音を立てて出入りしてくるのはいいのですが、冬はすき間風でとても寒かった。ときには扉の向こうで、捕ってきたネズミやモグラでサッカーしていることもありました。私たちに自慢気に見せていたのかもしれません。

 我が家に常時いたのは初代の雌猫(名前を忘れてしまいました・・・)とその子どもの茶色い縞模様と灰色の縞模様の2匹。茶色い縞の子はいわゆる茶トラで名前は「ちゃしま」、灰色の縞の子はサバトラって呼ぶんですか?「はいじま」から「ハイジ」と名付けました。

 

 ちゃしまが一番懐いていたのは、当時大学浪人中の兄です。兄がこたつで寝ていればその上に必ずちゃしまが乗って一緒に寝ていました。私ははっきりした顔立ちのハイジが好みだったので、何となく担当が決まっていて、それぞれにかわいがっていました。

 2匹の子猫はあっという間に大きくなって、季節によっては夜通し騒々しい鳴き声をあげて、傷だらけで帰還することもよくありましたっけ。記憶が定かではないのですが、2匹ともいつのまにか姿を見せなくなり、どこでどのような人生を送ったのかわからないままのお別れとなってしまいました。

 2匹が姿を見せなくなってだいぶたってから、兄が「昨夜、ちゃしまがお別れに来たぞ。」と言いました。寝ていたら自分のお腹に4つの重さを感じたそうです。「あれは絶対にちゃしまが俺の腹の上に乗って、あいさつに来たんだよ。」

 

 何匹か猫を飼っていたのに、顔まで覚えているのはちゃしまとハイジ。今日の猫模様のお店でふと思い出しました。

 元気な姿だけを私たちに残して消えてしまった2匹。我が家の生活が彼らにとって幸せだったなら良いのですけどね。